僕は、子どもと関わるときに理論を参考にすることがある。
ただ、理論を「目の前の子どもを説明する答え」として使うことはしない。僕にとって理論は、自分にはなかった見方を増やすためのものだ。
不登校の支援でも、発達や愛着、回復の過程など、いろいろな理論や考え方が紹介されている。そうした知識を持つことで、「こういう可能性もあるかもしれない」と考えられる。それは、目の前の子どもを見る助けになる。
でも、理論でこう説明できるからといって、本人が実際に話していることまで理論の側に合わせて読み替えてしまったら、本末転倒だと思っている。
理論は「書かれている場面」にしか使えないのか
僕がよく参考にするものの一つに、マーラーの分離・個体化理論がある。
これは本来、乳幼児の心の発達を扱う理論だ。分離・個体化の過程では、子どもが養育者から少しずつ離れて外の世界を探索しながら、必要なときにはまた近づき、安心を得ながら自分の世界を広げていく姿が描かれている。再接近期では、離れていきたい気持ちと近づきたい気持ちの揺れも扱われる。
参考:分離・個体化理論について
安心できる存在を土台に探索していく、という部分だけなら、愛着理論でも考えることはできる。
それでも僕が分離・個体化理論を参考にするのは、その前後を含めて「人がどうやって一人で立っていくのか」という流れが見えるからだ。
もちろん、乳幼児に起きることが、そのまま不登校の子どもや大人にも同じように起きる、と言いたいわけではない。
僕が見ているのは、理論の文章そのものではなく、その中にある構造だ。
安心できる場所がある。そこから少し離れてみる。不安になれば戻る。また安心できたら、もう一度外へ向かう。
こういう動きは、乳幼児の発達だけではなく、人が何かに挑戦したり、自分の力で動き始めたりするときにも、一つの見方として使えるんじゃないか。
僕はそんなふうに理論を使っている。
理論は、答えではなく見方を増やすもの
看護学校で理論を学んでいた頃から、僕は「この理論はこの場面にしか使えない」とあまり考えてこなかった。
理論で示されていることから、「じゃあ別の場面ではどうなんだろう?」と考える。
もちろん、それは理論そのものが証明していることとは別だ。そこから先は、僕自身の解釈になる。
でも、僕はそれでいいと思っている。
研究として「どこまで言えるか」を厳密に分けることは大切だとは思う。ただ、現場で人と関わるときまで、その境界を考える終点にする必要はないと思っている。
「この理論ではここまでしか言えない」で終わるのではなく、「ここまで分かっているなら、こういう見方もできるんじゃないか」と考える。
そうやって視点を増やしていくことで、一つの説明だけに飛びつかずに済む。
僕にとって理論を知る意味は、正解を増やすことではない。可能性を増やすことに近い。
本人の言葉を理論が上書きする違和感
ただし、理論からどれだけ筋の通った説明ができても、最後に見るのは目の前の本人だ。
例えば、昨日まで「学校に行きたい」と話していた子が、今日は「絶対に行きたくない」と言ったとする。
そのとき、「昨日は行きたいと言っていたから、今日の言葉は本音じゃない」とは考えない。
逆に、「本当はずっと行きたくなかったんだ」と決める必要もない。
僕なら、少なくとも「今はそういう気持ちでいっぱいなんだな」と受け取る。
子どもが口にした言葉が、心の奥にある気持ちのすべてなのかは分からない。自分でもまだ整理できていないこともあるだろうし、明日には違う気持ちになることもある。
それでも、今その言葉を口に出したい気持ちがあることは事実だ。
理論や経験から、その背景を考えることはできる。
「こういう不安があるのかもしれない」
「今は安心できる場所を求めているのかもしれない」
「この反応には、こんな理由もあるかもしれない」
そうやって可能性を考えることは、本人を理解する助けになる。
でも、それがいつの間にか「本当はこう思っているはず」に変わってしまったら、理論が本人の言葉を上書きしてしまう。
僕はそこを間違えたくない。
理論は地図。でも、歩くのは現実の道
僕にとって、理論は地図に近い。
地図があれば、今どこにいるのか、どんな道があるのかを考えやすくなる。知らなかった道を見つけることもできる。
でも、実際にその場所へ行けば、地図には載っていない工事をしているかもしれない。倒木で道がふさがっているかもしれない。
そんなとき、「地図には通れると書いてあるから」と、そのまま突っ込む人はいない。
目の前の道を見て、必要なら迂回する。
だからといって、地図が役に立たないわけでもない。地図があるからこそ、別の道を探しやすくなる。
不登校について語られる段階表も、僕は同じように考えている。
「この子は今この段階だから、次はこうする」と決めるためではなく、「今起きていることを、こう見ることもできる」と考えるための地図として使う。
地図に現実を合わせるのではなく、現実を見るために地図を使う。
僕にとって理論も同じだ。
理論を知るほど、子どもを信じやすくなる
理論がなければ子どもを待てない、ということではない。
僕はもともと、子どもには自分で動いていく力があると思って関わっている。
ただ、いろいろな理論を知ることで、その見方に別の角度から根拠が加わる。
「今すぐ何とかしなくてもいいかもしれない」
「この動きにも意味があるのかもしれない」
「一度戻ることも、止まることも、その子なりの過程かもしれない」
そう考えられると、大人側が少し冷静でいられる。
そして、子どもをもっと自信を持って信じられる。
理論を知った結果、子どもを見る範囲が狭くなるなら、僕はその使い方をしたくない。
理論は、人を決めつけるためのものではない。
目の前の人について考えるとき、自分にはなかった見方を増やしてくれるものだ。
だから僕は、理論から考えたことと本人が話していることが違えば、まず本人の言葉に立ち戻る。
理論に子どもを当てはめるのではなく、子どもを見るために理論を使う。
僕はこれからも、そんなふうに理論と付き合っていきたい。
完全訪問型の支援を続けるために、力を貸してください
現在、完全訪問型フリースクール「なすび」の活動をこれからも続けていくため、CAMPFIREでクラウドファンディングに挑戦しています。
訪問型の支援は、子どもたちが安心して過ごせる場所へ僕自身が会いに行ける一方で、移動にかかる交通費や、活動に必要な備品・消耗品、外出や体験活動の費用など、さまざまな活動費が必要になります。
いただいたご支援は、そうした完全訪問型の支援を続けていくための年間活動費として、大切に使わせていただきます。
もしこの記事を読んで、僕の活動や想いを応援したいと思っていただけたら、ご支援やシェアという形で力を貸していただけると嬉しいです。
子どもたちが自分らしく生きる力を育むために、日々活動しています。
なすびの想いに共感していただけたら、OFUSEでの応援が力になります。
👉 OFUSEはこちら
また、僕は訪問型の不登校支援も行っています。
「相談してみたい」「話を聞いてみたい」と思われた方は、こちらからご連絡ください。
👉 ご相談はこちら
完全訪問型フリースクール”なすび”をもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント