訪問型不登校支援

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自分の性質に合う働き方を選んだ。僕が訪問型の不登校支援をしている理由

この記事は、誰かに何かを教えたいわけでも、勧めたいわけでもない。 ただ、僕はこういうふうに生きている、ということを、今回は自分の言葉で書いてみようと思った。 僕は、組織に合わなかったから今の働き方をしている、という言い方はあまりしたく...
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不登校の子が新学期に苦しくなるのは、やる気がないからじゃない

新学期、「今度こそ」と期待していた自分 新学期は、不登校の子にとってただ不安なだけの時期ではないと思っている。 本人の中にも、「今度こそいけるかも」という期待があることが、実は少なくない。僕自身もそうだった。 新しいクラスになるこ...
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子どもは勝手に学ぶ。不登校の子に別の選択肢を

不登校の子に「起業したほうがいい」と言いたいわけじゃない。 そうではなくて、学校という場所がどうしてもしんどい子に対して、学校だけが人生の正解ではないこと、自分のやりたいことを自分のやり方で形にしていく道もあることを、もっと早い段階で...
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「安全のために」って言われたとき、子どもの安心はどこへ行くのか

子どもとのスキンシップって、何となく話題にしづらいテーマだと思う。 抱っこやおんぶ、ぎゅっとくっつく時間。 それ自体はあたたかいはずなのに、「今のご時世だから」という言葉ひとつで、一気にグレーなものに変わってしまう空気がある。 僕は訪問型...
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不登校は「問題」なのかーー皿回しと体験学習サイクルから考える学びの場所

現場にいると、「不登校」はほとんどの場合「なんとか解決すべき問題」として扱われることが多いと感じる。 どうやったら教室に戻せるか。どの支援を使えば何週間で復帰できるか。学校も保護者も、そこにすごくエネルギーを使っている。 もちろん、「学校に...
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年明けに変わらなくてもいいと思えたこと

2026年の年明けを迎えてしばらくたってから、ふと気づいたことがあった。 そういえば「今年の抱負」をまったく考えていなかった。 毎年恒例のように「今年はもっと〜しよう」とか「心機一転がんばろう」とか、何かしら言葉にしておくもの...
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正解を当てにいかない「本質観取」というまなざし

本質って何だろうと立ち止まったときの感覚 最近、自分の支援や生き方の中で「本質って何なんだろう」と考えることが増えた。 学校の成績やテストの点数、不登校か登校か、ゲームか勉強か。 僕たちがふだん使っている言葉には、「正しい」「間違っている...
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ChatGPTと書く。でも、考えるのは自分

最近、「ChatGPTにブログを書かせるのはどうなんだろう」という話をよく見かける。 それを見て、腹が立ったとか、否定された気がしたとか、そういう感情は正直あまりない。ただ、「それだけで中身を見てもらえなくなるのは、少し寂しいな」と...
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不登校が過去最多、という数字を見て思うこと

「不登校が過去最多です」 ここ数年、そんな言葉を目にする機会が明らかに増えた。ニュースでも、教育関連の資料でも、この数字は「問題」として扱われることが多い。 でも正直に言うと、僕自身はその数字を見ても、強い危機感はあまり覚えな...
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不登校の子が動けないのは怠けじゃない。身体が安心を取り戻すまでの流れ。

子どもは段階を通って回復していく 不登校の子どもたちの様子を見ていると、その子なりのペースで少しずつ回復していく流れがある。僕は、子どもたちの状態を理解するときに、ポリヴェーガル理論という神経の考え方をひとつの手がかりにしている。 ...
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