自分の性質に合う働き方を選んだ。僕が訪問型の不登校支援をしている理由

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この記事は、誰かに何かを教えたいわけでも、勧めたいわけでもない。
ただ、僕はこういうふうに生きている、ということを、今回は自分の言葉で書いてみようと思った。

僕は、組織に合わなかったから今の働き方をしている、という言い方はあまりしたくない。もちろん、病棟でも保育園でも、うまくなじめたとは言えない。でも、それ以上に大きかったのは、自分の性質を無視したままでは働けなかったということだった。

納得できないことを、納得できないままでやるのが苦手だった。周りに合わせることより、目の前の子にとって何が自然か、何がいいかを先に考えてしまう。その性質を見たときに、僕には自分で考えて、自分で決めて動く働き方のほうが合っていた。だから今、僕は個人で訪問型の不登校支援をしている。

これは、組織が悪いとか、個人でやるのが正しいとか、そういう話ではない。ただ、自分がどういうときに苦しくなって、どういうときに力を出しやすいのかを見た結果、今の形になった。その経緯を、今回はそのまま書いてみたい。

納得できないことを、納得できないままできない

僕は昔から、納得できないことを飲み込んだまま動くのが苦手だった。上司や周りの人に対しても、「それは違うんじゃないか」と思ったら、そのままにできないことが多かった。

それは、反抗したいからではない。ただ、周りに合わせて動くことよりも、目の前の子に自分がどう関わりたいかのほうが、僕の中では大きかった。周りが決めた目標や、組織としての正しさより、その子の思いや、その子にとって無理のない関わり方を大事にしたかった。

僕にとってしんどかったのは、意見の違いそのものより、自分の中で引っかかったものを引っかかったまま処理しないで進むことだった。納得していないのに、納得した顔で動く。それがどうしてもできなかった。

でも、組織の中にいると、そればかりを優先できるわけではない。全体の都合もあるし、立場の違いもあるし、決まっている流れもある。その中で働くこと自体を否定したいわけではない。ただ、僕はそこに自分をうまく合わせ続けることができなかった。

見て見ぬふりをして、自分だけ抜けることができなかった

納得できないことがあったとき、何も言わずに辞めることもできる。自分を守ることも、生活を守ることも大事だし、その選び方を否定したいわけでもない。実際、そのほうが自分の負担が少ない場面もあると思う。

それでも僕は、見て見ぬふりをしたままなのがどうしても嫌だった。自分が黙って辞めたとしても、残る子どもたちの環境はそのままかもしれない。そう思うと、何も言わずに離れることができなかった。

そこには、きれいな理念があったわけではない。ただ、自分の保身だけを優先して黙っていることのほうが、僕にはしんどかった。

子どもたちがかわいいから、黙っていたくなかった。
見て見ぬふりをしたくなかった。
それだけと言えば、それだけだ。

だから僕は、社会の中でうまく割り切ってやることに向いていないんだと思う。みんなが見て見ぬふりをする場面があることも分かるし、それを責めたいわけでもない。

ただ、僕はそこに自分を合わせられなかった。
合わせたくなかった。

だから、自分で決めて動ける働き方を選んだ

そんな自分の性質を見たときに、僕は人に合わせて動く働き方より、自分で考えて、自分で決めて動く働き方のほうが合っていると思った。
組織を否定したかったわけではない。
ただ、自分が無理なく続けられる形を考えたとき、今の形に行き着いた。

独立するとき、不安がまったくなかったわけではない。でも、それ以上に大きかったのは、自分でやりたいことを全力でやってみたいという気持ちだった。しんどい場所から逃げたというより、自分の性質を活かせる場所へ向かった感覚のほうが近い。

どうすれば、自分の性質を消さずに仕事として成り立たせられるか。それを考えた結果が、今の働き方だった。誰かに合わせて動くより、自分で判断して責任を取るほうが、僕にはまだ自然だった。

個人でやる働き方は自由な分、全部を自分で引き受けることにもなる。それでも僕は、誰かの判断に自分を合わせ続けるより、その重さを引き受ける方がよかった。
多分、その方が僕には合っていた。

だから今、訪問型の不登校支援をしている

今の働き方でよかったと思うのは、好きなことをそのまま仕事にできているからだと思う。僕にとって好きなことは、子どもたちと何かをすることだ。一緒に遊ぶこともそうだし、シュノーケリングに行くことも、Switchで遊ぶこともそうだ。

その時間の中で、子どもたちがどんな顔を見せるのか、どんな発想を見せるのか、どんなふうに動き出すのかを見るのが好き。何かを教え込むというより、一緒に過ごしている中で立ち上がってくるものを見るのが好きなんだと思う。

子どもたちが「なすび」と呼んでくれることも、「来てほしい」と言ってくれることも嬉しい。なかなか笑顔を見せなかった子が笑ってくれた瞬間や、初めてバイバイと言ってくれた日みたいに、小さくても忘れられない瞬間がたくさんある。そういう時間があるから、僕はこの働き方でよかったと思っている。

不登校の子どもたちと関わるこの仕事は、僕にとって、ただ働くための手段ではない。自分の性質を無理に削らずに、人と関われる形でもある。子どもたちと一緒に過ごす中で返ってくる小さな瞬間が、今の働き方を選んでよかったと思わせてくれる。

これは、何かを勧めたい話ではない。組織で働くことが悪いと言いたいわけでもないし、個人で働くことが正しいと言いたいわけでもない。

ただ、僕はこういう性質があって、その上で今の働き方を選んでいる。今回は、そのことを自分の言葉で書いておきたかった。

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