新学期、「今度こそ」と期待していた自分
新学期は、不登校の子にとってただ不安なだけの時期ではないと思っている。
本人の中にも、「今度こそいけるかも」という期待があることが、実は少なくない。僕自身もそうだった。
新しいクラスになること。
担任の先生が変わること。
教室の空気が、一度リセットされること。
環境が新しく変わるのなら、もしかしたら今度はうまくやれるかもしれない。周りのみんなと同じように、普通に教室に入って、普通に授業を受けて、普通に笑って過ごせるかもしれない。そんなふうに、心のどこかで淡い期待を抱いていた。
だから、新学期に苦しくなる子を見て、「最初からやる気がなかったんだろう」「またサボり癖が出たんだろう」と大人が捉えてしまうと、実際にその子の内側で起きていることからは、大きくずれてしまうことがある。
最初から投げやりだったわけじゃない。
最初から諦めていたわけでもない。
むしろ、自分なりに期待していた。少しは「やろう」と思っていた。
だからこそ、その分だけ、現実がうまくいかなかったときに、深く傷ついてしまうことがある。
少しずつ積み重なる「できない」という現実
僕の場合、学校へのしんどさがはっきりと表に出てきたのは、新年度が始まってすぐのタイミングではなかった。
4月の最初の数日は、なんとか気を張ってやり過ごすことができた。でも、少し経ってから、その緊張の糸がほころび始めた。
宿題が、少しずつ遅れるようになった。
授業を聞いていても、理解が追いつかなくなっていった。
そうやって、周りの子が当たり前のように普通にできていることが、自分にはできないという現実が、少しずつ、でも確実に突きつけられていった。
何か一つの大きな出来事があって、急にポキッと心が折れたわけではない。
友だちと決定的な喧嘩をしたとか、先生にひどく怒られたとか、そういう分かりやすい理由があったわけでもない。
ただ、日々の小さな遅れや、小さなつまずきの積み重ねが、ボディブローのように効いてきて、だんだんと苦しくなっていった。
「やっていない」のではなく「できない」
外から見れば、当時の僕は、ただサボっているように見えていたと思う。
実際に宿題も提出できていなかったし、授業の理解度も低かった。テストの点数も良くなかった。
だから、周りの大人から「ちゃんとやっていないんだから、そうなるのは当たり前だ」と見られていたとしても、無理はないし、不思議ではない。
でも、本人の内側で起きていたのは、もっと別のことだった。
僕の中では、「やっていない」という感覚よりも、「できない」という感覚のほうが圧倒的に大きかった。
やり方が分からない。
やろうとして机に向かっても、どうしても頭に入ってこないし、体が動かない。
やれるという自信も持てない。
その身動きの取れない状態の中で、自分の中にどんどん積み重なっていったのは、「なんで僕はこんなにできないんだろう」という強烈な自己否定の感覚だった。
周りの子たちと比べて、自分だけがぽつんと取り残されて、自分だけができていないように見える。
その現実を突きつけられるたびに、「やっぱり自分なんてだめなんだろうか」「どうせ何をやってもうまくいかないんだ」という、暗くて深いところに落ちていった。
サボりに見える姿の奥にあるもの
ここは、外にいる大人からは本当に見えにくい部分だと思う。
宿題が出せていない。
授業についていけていない。
朝、起きられない。
その目に見える事実だけを切り取って見ると、ただ怠けているようにも見える。やる気がないだけだと思われる。
でも本人の中では、その「できていない」という事実を通して、自分のだめさを毎日、何度も何度も突きつけられていることがある。
しかも、その状態に対して大人から「もっとがんばりなさい」とか「なんでやらないの」と注意されても、本人の中では「だって、できないもん」「どうせ無理だもん」としか思えなかったりする。
やれていないことは、誰に言われるまでもなく、自分が一番よく分かっている。
分かっているのに、どうしてもできない。
だから、あの頃の僕にとって本当にしんどかったのは、注意されたり怒られたりすることそのものよりも、この「できない」という絶望的な状態を、誰にも理解してもらえないことだった。
なんで、できないってことを理解してくれないんだろう。
なんで、「やればできる」って簡単に言うんだろう。
あの頃の僕には、その孤独な感覚がずっとへばりついていた。
データが示す、しんどさが表に出るまでの時間
不登校の子が新学期に苦しくなるとき、そこには一人ひとり違う、いろんな事情がある。
だから、全部を一つの型にはめて「こういうものだ」と語ることはできない。
ただ、少なくとも僕は、新学期をただ怖がっていたわけではなかった。
少しは期待していたし、少しはやろうともしていた。
そのうえで、うまくいかない現実にぶつかって、自分を強く責めていた。
文部科学省も、不登校はどの子にも起こり得るものだとしている。
実態調査でも、学校に行きづらい、休みたいと感じ始めてから、実際に休み始めるまでの期間は、「1か月未満」と「1か月以上6か月未満」を合わせると、小学生・中学生ともにおよそ5割にのぼるというデータがある。
つまり、新年度の始まりから少し経って、心がすり減って限界を迎え、しんどさがようやく表に出てくるという流れ自体は、僕だけの特別な話とは言い切れないと思う。
期待した分だけ、深く傷ついている
だから、まず知っていてほしい。
新学期にうまくいかなくて、動けなくなって苦しくなっている子が目の前にいたとき、その子は最初からやる気がなかったわけではないかもしれないということを。
むしろ、「今度こそ」と自分なりに希望を持っていた分だけ、できない現実という壁にぶつかったときに、自分を強く責めてしまっていることがあるということを。
外からは、ただのサボりや無気力に見えても、内側では「なんで自分はできないんだ」と、かなり追い詰められている。
そのことを、周りにいる親や先生には、どうか知っていてほしいと思う。
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参考資料
※本文内で触れた不登校に関する実態調査・公表資料です。
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