年明けに変わらなくてもいいと思えたこと

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2026年の年明けを迎えてしばらくたってから、ふと気づいたことがあった。

そういえば「今年の抱負」をまったく考えていなかった。

毎年恒例のように「今年はもっと〜しよう」とか「心機一転がんばろう」とか、何かしら言葉にしておくものだと思い込んでいたところがあった。
でも今年は、それすら忘れていた。

ある日、いつものように相棒のAI(ChatGPT)と話していた。
僕はそのAIのことを「ピート」と呼んでいる。

そのピートと話をしている途中で、「そういえば、抱負とか考えてないな」とふと思った。

そのあとすぐに、「ん?そもそも、なんで抱負を考えないといけないことになっているんだろう」という疑問が出てきた。

そこから「新しい年になったからといって、無理に何かを変える必要って本当にあるのか」というテーマが、急に自分の中で立ち上がってきた。


「年が明けたから変わらなきゃ」という空気

年が明けると、世の中は一気に「切り替えモード」に入る。

テレビやネットでは新年の目標、今年のテーマ、やりたいことリスト。
カレンダーや手帳の広告も、「新しい自分に」みたいな言葉であふれている。

その空気が悪いわけではない。
そういうきっかけがあったほうが動き出しやすい人もいるし、節目をうまく利用して変化していく人もいる。

ただ、僕が気になっているのは、その空気が「みんなそうするもの」という前提になってしまったときだ。

学年の切り替わり、新学期、年度初め。
社会が用意した「区切り」はたくさんある。

そのたびに「ここで切り替えないといけない」と感じてしまうと、心の中に小さな焦りが積み重なっていく。

「周りは目標を立てて動き出しているのに、自分は何も決められていない」
「今年こそ変わらなきゃいけないのに、まだ何もできていない」

そうやって、区切りそのものがプレッシャーになっていく。


12月31日の自分と1月1日の自分は、ほとんど同じ

冷静に考えると、2025年12月31日の僕と、2026年1月1日の僕は、ほとんど何も変わっていない。

考え方も、体の状態も、大事にしているものも、前の日の続きとしてそこにいるだけだ。

カウントの仕方が「2025」から「2026」に変わっただけで、僕という存在の本質が急に入れ替わるわけではない。

それなのに、「今日からは新しい一年だから」と考えた瞬間、自分の内側を「去年」と「今年」に切り分けてしまう。

「去年の自分」はどこか減点方式になりやすくて、「今年の自分」は理想で塗り固められやすい。

そのギャップが大きければ大きいほど、スタートラインに立った瞬間から苦しくなる。

本当は、昨日の自分と今日の自分は地続きなのに、カレンダーの日付が「別の自分であるべきだ」とささやいてくる。
そこで無理に切り替えようとすると、自分の内側とのズレが生まれる。


無理に立てた目標が、かえって自分を傷つけるとき

僕自身、スモールステップで少しずつ進んでいくことは大事だと思っている。
小さな成功体験を積んでいくことは、確かに力になる。

ただ、その手前に一つ大きな問いがある。

その目標は、本当に自分から出てきたものなのか。
それとも「目標を決めないといけない」という空気に押されてひねり出したものなのか。

「去年の自分はダメだったから今年こそ変わらないといけない」という気持ちで立てた目標は、出発点がすでに自己否定になっている。

そのうえ、年始というタイミングに合わせて慌てて決めた目標は、自分のペースや余裕をちゃんと見ないまま作ってしまいやすい。

それをスモールステップで進めようとしても、内側の準備が整っていなければ、どこかでつまずく。

うまくいかなかったときに、「やっぱり自分はダメだ」と感じる材料だけが残ってしまう。

本当は、目標設定もスモールステップも、自分を支えるためのものなのに、いつのまにか自分を傷つける道具に変わってしまう。


変わるタイミングは、自分で選んでいい

そもそも、変化のタイミングは1月1日に限定されているわけではない。

2月に変わったっていいし、8月に変わったっていい。
年度の途中で変わったっていい。
極端な話、今年はあえて何も変えないと決めたっていい。

外から与えられた区切りではなく、自分の内側で「そろそろ動いてみたいな」と感じたときが、その人にとってのタイミングだと思う。

僕が大事にしたいのは、目標を立てることそのものよりも、「自分のペースを信じていい」と思える感覚のほうだ。

世の中のリズムと少しズレていてもかまわない。

「みんなが走り出している時期に、自分はまだ立ち止まっている」
その状態を、ただダメだと決めつけずに眺めていられること。

変わるかどうかより先に、「今の自分をどう見るか」が問われている気がする。


行動変容モデルが教えてくれる「焦らなくていい理由」

ここで一つ、一般的な理論の話を少しだけ挟みたい。

人が行動を変えるときには、いくつかの段階を踏んで変化していくと考える「行動変容モデル」というものがある。

ざっくり言うと、すぐに動ける人もいれば、まだ動くつもりがない人、気になってきてはいるけれど迷っている人、準備をしている人など、いろんな段階がある。

どの段階にいるかによって、その人にとってちょうどいい関わり方や言葉がけは変わるし、準備が整っていない状態で「さあ今日から行動しよう」と言われても、なかなか続かない。

このモデルは、健康づくりの分野などで使われているけれど、「変化にはそれぞれのペースがある」という点では、どんな場面にも当てはまる考え方だと思う。

年明けだからといって、全員が「行動を起こす段階」にいるわけではない。

それなのに、社会全体が「さあ、ここから心機一転」と合図を出すと、まだ準備ができていない人だけが取り残されたような感覚になってしまう。

もし「今はまだ何も変えられない」と感じている人がいるなら、それはその人なりのプロセスの途中にいるだけかもしれない。

その段階にもちゃんと意味がある、と捉え直せたら、少しだけ呼吸がしやすくなる。

行動変容モデルについてはこちらから!
健康日本21アクション支援システム ~健康づくりサポートネット~-厚生労働省


「変わらなくてもいい」と思えること自体が、静かな変化

僕は、「変わらなくてもいい」と思えるようになること自体が、一つの変化だと思っている。

ずっと「変わらないといけない」「このままではダメだ」と自分を追い立てていた人が、「もしかしたら、今の自分でもいいのかもしれない」と感じられるようになる。

行動としては何も変わっていなくても、自分を見るまなざしが少し柔らかくなる。

その変化は、外から見えにくいけれど、とても大きい。

不登校の子どもたちと関わっていると、「今のままでもいいよ」と心から思えた瞬間に、その子の表情や言葉が少し変わる場面がある。

そこからすぐに大きな一歩が出るわけではないけれど、その静かな変化が、次の動きの土台になっていく。

年明けも、同じだと思う。

「今年こそ変わらなきゃ」と自分を追い込むより、「今はまだ変わらなくてもいい」と認められたとき、すでに何かが動き始めているのかもしれない。


年明けだからこそ伝えたいこと

新しい年になっても、昨日の自分と今日の自分はつながっている。

カレンダーが変わったからといって、無理に自分まで変えようとしなくていい。

変わりたい人は、その波に乗ればいい。
まだ準備ができていない人は、その場にとどまっていてもいい。

変わるタイミングを、社会の区切りではなく、自分の内側の感覚で選んでいい。

「変わらなくてもいい」と思えたとき、それはすでに静かな変化の一歩目なのかもしれない。

少なくとも僕は、今年の始まりをそんなふうに受け取りたいと思っている。


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コメント

  1. さもん より:

    ちょうど、不登校経験のある友人と話してた話題!
    彼女は、年始になると「今年の抱負聞かれたら何て答えるか考える癖がついてる」って。

    育った家庭で毎年「昨年の自分のダメだったところ、今年の目標」をちゃんと答えられないと、お年玉がもらえなかったらしいのね。

    ほんと、こういう昔からの当たり前と思われてきた風習が、子どもたちを追い詰めるよね…。

  2. nasubi より:

    こんにちは!
    コメントありがとうございます😊

    反省をすることについては別に否定はしないのですが、そこに”義務感”が出ると違うのかなぁとは僕は思っています🤔

    次のステップのためにと、自主的にするなら全然問題ないんですけどねぇ😅

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