ChatGPTと書く。でも、考えるのは自分

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最近、「ChatGPTにブログを書かせるのはどうなんだろう」という話をよく見かける。

それを見て、腹が立ったとか、否定された気がしたとか、そういう感情は正直あまりない。
ただ、「それだけで中身を見てもらえなくなるのは、少し寂しいな」と思った。

「どうせAIでしょ」と思われて、読まれる前に離脱されてしまう。
それで、本当は伝えたかったことまで一緒に流れていく感じが、なんとなく引っかかっていた。

だから今回は、あらかじめ書いておこうと思う。
僕はChatGPTを使ってブログを書いている。

ただ、その一文だけが一人歩きしないように、もう少しだけ中身の話もしておきたい。


僕にとってのChatGPTは、考える代わりじゃない

僕がChatGPTを使っている一番の理由は、思考の深掘りだと思う。

自分で考えていることを、そのまま文章にするのは案外むずかしい。
頭の中には感覚や引っかかりがあるのに、それを言葉にしようとした瞬間に、うまく逃げていくことがある。

だから僕は、一問一答みたいな形で質問を投げてもらうことが多い。
質問が来ると、それに反応して、自分の中で勝手に考えが始まる。
誰かに答えているようで、実は自分の中を掘っている感覚に近い。

このとき出てきているのは、ChatGPTの考えというより、
もともと自分の中にあったけれど、言葉になっていなかったものだと思っている。

考えること自体を任せている、という感覚はあまりない。


書けなくなって、途中で諦める自分を知っている

もう一つ、かなり大きい理由がある。

正直に言うと、ChatGPTがいなかったら、このブログは途中で止まっていたと思う。
話したいことがまとまらなくて、書き切れなくて、たぶん三日坊主で終わっていた。

書き始めると、考えがあちこちに広がる。
どれも嘘ではないし、どれも大事だからこそ、収拾がつかなくなる。
最初に何を書こうとしていたのか、最後にどこに着地したかったのかが、分からなくなる。

ChatGPTを使っているのは、そうならないためでもある。

今どこを話しているのか。
最初にあった問いは何だったのか。
最後に戻りたい場所はどこなのか。

そういう「地図」を、外に一枚置いておく感覚に近い。

考えるのを楽にしたいというより、
途中で諦めずに、最後まで考えきるために使っている、という方がしっくりくる。


勝手なオリジナルを作られるのは、やっぱり嫌だ

一方で、はっきり嫌なこともある。

ChatGPTが、それっぽさを出すために、
自分が言っていない具体例や事例を作ってしまうことがある。

創作としてなら成立する場面もあると思う。
でも、僕のブログではそれはできない。

自分が体験していないことを、体験したように書いたら、それは嘘になる。
それを良しとしてしまったら、自分が書く意味がなくなる。

だから、事例や体験談は必ず自分のものだけにしている。
見たこと、聞いたこと、実際に起きたこと。
そこは絶対に譲らない。


調べることと、引き受けることは別

補足しておくと、調べ物としてChatGPTを使うことは普通にある。

「こういう事例は他にもあるのか」
「この考え方は理論的にどう整理されているのか」

そういう材料を集めてもらうこと自体は、問題だと思っていない。

ただ、その情報をどう受け取るか、どう考えるか、どこに置くか。
そこは自分で引き受ける。

調べるところと、考察するところ。
その境目だけは、意識的に分けている。


正解を示したいわけではない

ここまで書いてきたけれど、
この使い方が正解だとは思っていない。

「AIはこう使うべき」と言いたいわけでもない。
ただ、僕はこうやって書いている、という自己開示に近い。

AIを使っているという理由だけで、
中身を読む前に離れていく人がいるとしたら、少し悲しい。
だから先に言っておく。それだけの話でもある。

今回の記事を書いたやり取りも、最後にそのまま貼るつもりだ。
過程ごと見てもらった方が、誤解が少ない気がしている。

今回のChatGPTとのやり取りはこちら


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