「関係が育たない」自然学校で見えた現実
今回の自然学校は、これまでとはまったく違う空気だった。
これまでの自然学校では、時間が経つにつれて少しずつ関係が育ち、
笑顔や声かけが増えていく様子を何度も見てきた。
けれど今回は、最初から最後までその“つながりの芽”がほとんど見えなかった。
子どもたちはお互いに関心を持たず、
誰かが困っていても気づかないふりをする。
失敗した子を馬鹿にして笑うような場面もあった。
その空気の中で、関係が育つ気配は感じられなかった。
「どうして今回は、信頼が生まれなかったんだろう」。
そう考えながら過ごした数日間は、これまでにない感覚だった。
そしてこの経験を通して、改めて感じたことがある。
信頼というのは、最初からあるものではなく、
人との関わりの中で少しずつ“育っていくもの”だということ。
その“前段階”が整っていないと、
どれだけ声をかけても、思いが届かないことがある。
今回の記事では、この「信頼の前段階」について、
実際の経験から見えてきたことを整理しながら考えていきたい。
信頼は、最初からあるものではなく“育つもの”
信頼は、言葉で「信じましょう」と教えて身につくものではない。
誰かに受け止めてもらった経験や、裏切られなかった記憶の積み重ねの中で、少しずつ育っていくものだと思う。
たとえば、困っているときに声をかけてもらえたこと。
失敗しても責められず、「大丈夫」と言ってもらえたこと。
自分の話を途中で遮られずに最後まで聞いてもらえたこと。
そうした何気ない出来事の一つひとつが、「人を信じてもいいかもしれない」という感覚を育てていく。
けれど、そうした経験を十分に積めていない子どもたちにとって、
“信じる”という行為は、安心ではなくリスクになる。
信じた先で傷ついた経験がある子ほど、「信じないほうが安全だ」と学んでしまう。
だからこそ、信頼が生まれにくい場では、
「信じられない子たち」というよりも、「まだ信じることを知らない子たち」として見ていく必要がある。
信頼の“前段階”とは、まさにその部分――
人を信じる前に、“信じてもいいかもしれない”と思える感覚を取り戻す時間のことかもしれない。
自分を守るための攻撃というサイン
今回の自然学校では、子どもたちの言葉やふるまいの中に、攻撃的な空気がいくつも見られた。
誰かの失敗を笑う。からかう。無視する。
そうしたやり取りが日常の一部になっていて、互いに関わろうとする気配が薄かった。
ただ、その行動を単に「冷たい」「意地悪」と片づけることはできなかった。
そこには何かを守ろうとする反応があったように感じる。
もしかしたら、笑ったり突き放したりすることで、
自分が傷つかないように距離を取っていたのかもしれない。
あるいは、誰かに踏み込まれることへの怖さがあったのかもしれない。
人は安心できないとき、まず自分を守る方へ意識が向く。
その反応が、今回の子どもたちの場合は「攻撃」に近い形で表れていたのかもしれない。
そう考えると、表面に見える強さや冷たさは、
実は“信頼の欠片がまだ見つからないままの不安”の表れでもあったように思う。
大切なのは、その行動を否定しないこと。
「なぜそんなことを言ったのか」ではなく、
「その奥にどんな気持ちがあったんだろう」と見ようとする姿勢を保つこと。
誰かがその視点で関わり続けることで、少しずつ「この人は自分を否定しないかもしれない」と感じられる瞬間が生まれる。
その小さな感触こそ、信頼の前段階をつくる最初のサインだと思う。
自由があっても、責任が伴わなければ信頼は育たない
今回の自然学校では、「自分がやらなくてもいい」「それは自分の役割じゃない」といった言葉や態度があちこちで見られた。
誰かが頑張っていても関わろうとせず、片付けや準備も自分の担当でなければ動かない。
全体として「自分のことだけを考える」空気が広がっていた。
その背景には、おそらく“責任を意識する機会の少なさ”があると思う。
何かを任されたり、信頼されて動いたりする経験が少ないと、
「自分がやらなくても誰かがやる」「困ったら大人が何とかしてくれる」という感覚が当たり前になっていく。
そうなると、他人との関わりは“協力”ではなく、“分担された作業”に変わってしまう。
信頼というのは、誰かと一緒に何かをやり遂げる中でしか育たない。
自分の行動が周りに影響することを実感し、
「任された」「頼られた」と感じることで初めて、関係の中に責任が生まれる。
けれど今回の子どもたちは、その循環の経験をほとんど持てていなかったように思う。
だからこそ、「自分のことだけしていればいい」という空気が、何の違和感もなく広がっていたのかもしれない。
責任が生まれない場では、信頼もまた育たない。
その両方をつなぐ体験――“誰かと一緒に何かを成し遂げる”という感覚こそ、
信頼の前段階を耕すために欠かせないものだと感じている。
信頼の“前段階”をどうつくるか
自然学校の中で、たった一度だけ空気が変わった瞬間があった。
それが、野外炊飯での「藁拾い」の時間だった。
最初は、使い終えた藁があちこちに散らかっていて、誰も片付けようとしなかった。
「誰かがやるだろう」という空気が広がり、場はどんどん乱れていった。
そんなとき、今回の取りまとめ役のリーダーが子どもたちを集めて、静かに話をした。
「このままじゃ、来年この場所が使えなくなるかもしれない。
だから今ここで、ゼロに戻そう。
たった10分だけでいい。全力でやってみよう。」
その瞬間、子どもたちの表情が変わった。
誰かが動き出すと、それを見て次々に手が伸びていった。
「ここも手伝う?」「そっち終わった?」
そんな声が飛び交い、あっという間に場が整っていった。
たった10分。
でもその短い時間の中に、“一緒にやる”という感覚が確かにあった。
誰かの行動が場を動かし、その動きが他の子を巻き込んでいく。
そこには、指示ではなく共鳴があった。
信頼は、こうした“共有された達成感”の中で芽を出す。
言葉で「協力しよう」と伝えるよりも、
目の前の目標を共有して「やってみよう」と体験できること。
その経験こそが、信頼の前段階になる。
つまり、信頼を育てるためには、まず「信頼を前提にできない子どもたち」が
安心して“協力できる形”を先につくる必要がある。
それは、声かけや指導ではなく、成功体験の設計に近い。
無理に心を開かせるのではなく、「一緒にやったらうまくいった」という実感を渡す。
その手応えが、次の行動につながっていく。
協力と達成感がもたらす変化
藁拾いの10分間が終わったあと、子どもたちの表情は明らかに変わっていた。
全員が息を切らしながらも、どこか誇らしげで、笑顔が戻っていた。
誰かが頑張っている姿を見て、自然に体が動いた――
その感覚を、子どもたち自身が味わっていたように思う。
「やればできた」という実感は、ほんのわずかな時間でも大きな力を持つ。
その体験が、「人と関わるのも悪くないかもしれない」という感覚の芽を静かに育てていく。
協力や信頼は、言葉や指導で教えることはできない。
“うまくいった体験”の中で初めて、心の中に位置づくものだ。
あの10分間は、子どもたちにとって“信頼を築く前の小さな練習”になっていたように思う。
一緒に動けば場が整い、声をかけ合えば全体が早く進む。
そうした実感が、「人と関わることでうまくいく」という体験として残った。
信頼は、その小さな実感の積み重ねからしか育たない。
そして、そうした積み重ねが一度でも生まれれば、
「次もやってみよう」という意欲が芽を出す。
今回の自然学校では、その10分間こそが、
“信頼の種が初めて芽を出した瞬間”だったように思う。
信頼を語る前に、土を耕すということ
今回の自然学校を通して感じたのは、
信頼という言葉を語る前に、“信頼が育つための土”を整える必要があるということだった。
信頼は、相手を信じようと決めた瞬間に生まれるものではない。
その前に、「この人となら一緒にやっても大丈夫かもしれない」と感じられるような、
小さな成功や安心の積み重ねが必要になる。
今回の子どもたちは、その“土”がまだ十分に耕されていない状態だった。
だからこそ、声をかけても響かず、支えようとしても受け取られなかった。
信頼がないのではなく、信頼を育てるための体験が足りなかった。
それでも、藁拾いの10分間のように、
誰かと協力して達成できた瞬間には、確かに変化が起きた。
その瞬間こそ、信頼の前段階――「人と関わるって悪くない」と思える感覚――が生まれた時間だったと思う。
信頼をつくるとは、相手の心を動かすことではない。
一緒に過ごす時間の中で、安心や達成感が少しずつ積み重なっていくような場を整えること。
その積み重ねが、やがて“信じてもいいかもしれない”という感覚につながっていく。
信頼を語る前に、まずは土を耕すこと。
その地道なプロセスの中にこそ、
人が人とつながっていくための、いちばん確かな道があるように思う。
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