支援者なのに“変えようとしない”って、おかしいですか?

Uncategorized

支援らしくない支援が、いちばん支援だった。

「なすびはさ、あなたを変えようなんて思ってないよ。
というか、人ってそんな簡単に変えられるもんじゃないよね。笑」

ある日の訪問支援の中で、僕はふと、そんな言葉を本人に伝えた。
支援者としては、たぶん失格な発言かもしれない。

でも返ってきたのは、「ド正論でワロタ」という一言と、
お互いにちょっと笑ってしまうような、軽やかな空気だった。

“支援”という言葉の中には、
どこか「変えること」が前提として含まれている気がする。
「変わってほしい」「こうなってほしい」と願う気持ち自体は、
もちろん大切なものだと思う。

でも、それが行きすぎると、
今ここにいるその人の“そのまま”を見落としてしまう。

あのとき僕は、どうしても伝えたかった。
「君は今のままで、十分おもしろい存在なんだよ」って。
変える必要なんてない。ただ、そばで見ていたい。

たぶんその気持ちが、自然と口からこぼれただけなんだと思う。

今回はそんな、
“支援らしくない支援”について、少しだけ言葉にしてみたい。


「変えようとしない」って、どういうこと?

「支援」と聞くと、多くの人が「その子が少しでも変わるように」「できることが増えるように」と願うものかもしれない。

でも僕は、誰かを“変えよう”と思って関わっているわけじゃない。
むしろ、「この子ってどんな子なんだろう?」っていう純粋な好奇心でそばにいる。

何が好きなんだろう?
何にワクワクするんだろう?
どんなことを考えて、何に笑うんだろう?

そんなふうに、目の前の子の“今”そのものをもっと知りたい。
ただそれだけで、一緒にいる。
「変えたい」っていう思考が入り込む余地なんて、最初からない。

これは放任とはまったく違う。

放任っていうのは、きっと「どうでもいい」から関わらないこと。
でも僕は、その子のことをもっと知りたいと思っているし、ただ一緒にいたいと思っている

干渉するわけじゃないけれど、いつも心は寄り添っていて、
コントロールしようとは思わないけど、一緒に歩いていたいと思っている。

変えようとしないことは、無関心の裏返しじゃない。
むしろその子の存在を、丸ごと面白がっているっていう感覚に近い。


「変化」って、本当に“変わった”のかな?

支援をしていると、よく言われることがある。

「あの子、すごく変わりましたね」
「前と比べて、明るくなった気がします」
「自分の気持ちを話せるようになったんですね」

たしかに、表面的に見ると“変わった”ように見える場面はたくさんある。
でも僕は、それを「変化」と呼んでいいのか、いつも少し迷ってしまう。

というのも、僕の中ではこう思っているからだ。

「変わった」というより、「思い出した」
「できるようになった」というより、「もともと持ってたことに気づいた」

もしかしたら、その子の中にずっとあった“好き”とか“やりたい”とか“こうしてみたい”という気持ちが、
ただ外に出せるようになっただけかもしれない。

あるいは、自分の中にある「本当の気持ち」に気づいただけかもしれない。

だから僕は、「なすびと関わって変わった」って言われると、ちょっと違和感がある。

僕がしたことなんて、たいしたことじゃない。
ただそばにいて、話して、遊んで、笑って、
そして「君はそのままでいいよ」って、空気で伝え続けただけ。

でも、そんな関わりの中で、 その子が「自分を思い出していく」ような瞬間に立ち会えることがある。

それを僕は、“変化”とはあまり呼ばない。

“変わった”んじゃなくて、“戻ってきた”のかもしれないなって、そう思っている。


変えようとしない在り方が、信頼の土壌になる

誰かに「変わってほしい」と思われることって、
ときに「今の自分じゃ足りない」と言われているように感じることがある。

でも、「そのままでいい」と本気で思ってくれている人がいたら。
「変えようとしていない」ことが、ちゃんと伝わったとき、
人はようやく、自分自身の声に耳を澄ませられるようになる。

なすびの支援は、そんな空気でできている。

無理に励まさない。
無理に引っ張らない。
無理に信じようともしない。

ただ、その子の「今ここ」に興味があって、
一緒におもしろがって、笑ってるだけ。

それなのに、不思議と変化が起こることがある。

それはきっと、「変えようとしない在り方」が、
その子の中にある“自然に育っていく力”を信じているからだ。

信じているというよりも、もともとあるって知っている。
だから、コントロールしない。焦らない。比べない。

変わることを目的にしない関わりが、
いちばん深く、いちばん自然な変化を生む。

なすびは、今日もそんな“支援らしくない支援”を続けている。

だってそれが、
目の前の子のいちばん自然な「自分らしさ」を守るやり方だから。

関連記事


完全訪問型フリースクール”なすび”をもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました