子どもが苦手だった僕が、不登校の子どもたちとともに生きるようになるまで

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実は僕、昔“子どもが苦手”だった。

今は不登校の子どもたちと関わる仕事をしてるけど、
昔の僕は、子どもとどう関わればいいのかもわからなかったし、
近づくのがちょっと怖いとすら思ってた。

騒がしい場所が苦手で、パチンコ屋やゲームセンターに行っても
数分で頭が痛くなる。そんな自分を見て、親からも「子どもは向いてないやろ」って言われてた。

でも、そんな僕が、ある日をきっかけに子どもたちに心を動かされて、
今は不登校の子と一緒に生きている。

きっかけは、看護学校の保育園実習。
たった数日間の出来事だったけど、
僕にとっては、人生の向きを変える大きな出会いだった。


僕が「子どもは無理」だと思っていた理由

僕は昔から、騒がしい場所がとにかく苦手だった。
パチンコ屋に連れて行かれたときは、音がうるさすぎて頭が痛くなったし、
ゲームセンターでも、しばらくすると疲れてしまって、長時間いるのはしんどかった。

そういう自分を見て、親からは「お前は子どもは無理やろ」と言われていた。
きっと悪気があったわけじゃないと思うけど、
その言葉はいつの間にか僕の中に染みついていった。

実際、当時の僕は子どもと関わる機会なんてほとんどなかったし、
どう接していいかもわからなかった。
いざ関わるとなったときに、何を話したらいいのか、どう振る舞えばいいのか、
それがわからないまま、なんとなく距離をとってきた。

だから僕の中では、「子どもは自分には合わない存在」だと思い込んでいたし、
それはもう変わることのない“性格”のようなものだと思っていた。


子どもに心を動かされた日

そんな僕の考えが、たった数日でひっくり返ることになった。
きっかけは、看護学校での保育園実習だった。

初日はとにかくドキドキしていた。
子どもとちゃんと関われるか、泣かせてしまわないか。
でも正直に言うと、子どもよりも保育士さんとうまくやれるかどうかのほうが不安だった。
現場の大人の空気に、うまくなじめる気がしなかったからだ。

そんな気持ちのまま実習が始まって、あるとき、子どもたちから「おうまさんしてー!」と声をかけられた。
とりあえずやってみたら、「わたしも!」「ぼくも!」と、あっという間に行列ができた。

ひたすら背中に子どもを乗せて、何周もぐるぐる走り回った。
体はもちろんしんどかったし、翌日には見事に筋肉痛になったけど、
それ以上に、子どもたちが笑ってくれたことが、ただただうれしかった。

それまで「苦手」だと思っていた存在に対して、
こんなにも自然にあたたかい気持ちが湧いてくるなんて、想像もしていなかった。

そのときの僕は、子どもたちの純粋さや素直さに触れて、
心がふわっと緩んでいくのを感じていたと思う。

さらにその実習では、ちょうど運動会の練習が行われていた。
小さな子どもたちが、一生懸命練習して、少しずつ上手になっていく姿。
その姿が、思っていた以上にかっこよく見えた。

気がつけば、子どもを「かわいい」とか「苦手」とか、
そういうラベルで見ること自体がどうでもよくなっていた。


人生の舵を切った瞬間

保育園での実習が終わったとき、僕の中ではもう答えが出ていた。
「子どもと関わる仕事がしたい」
そう思ったのは、そのときが初めてだった。

当時の僕は、奨学金の関係である病院に就職する予定になっていた。
数年間そこで働けば、奨学金の返還が免除されるという条件だったから、
普通に考えれば、そのまま決まった道を進むのが“正解”だったと思う。

でも、実習を終えた僕は、その病院に就職する気になれなかった。
子どもたちと過ごしたあの時間が、頭から離れなかった。
あの感覚を、もう一度味わいたい。
それが素直な気持ちだった。

それで、契約していた病院を辞退することにした。
奨学金は自分で返すことにして、「子どもと関われる仕事」を探し始めた。

調べていく中で、「保育園で働く看護師」という仕事があることを知った。
その瞬間、「これだ」と思った。

子どもと関われて、しかも自分の学んできた看護の知識も活かせる。
それまで将来の道なんてぼんやりとしか見えていなかったのに、
気づいたら、「絶対に保育園看護師になる」と心に決めていた。

思えば、あのときの子どもたちとの出会いがなければ、
僕はいまだに「子どもは苦手」と思い込んだまま、
きっとしんどい仕事を無理して続けていたんじゃないかと思う。

あの実習が、僕の人生の向きを変えてくれた。
まさか、あんな短い時間で、ここまで何かが変わるなんて、
当時の僕には想像もつかなかった。


どこに可能性が転がっているかなんて、わからない

僕が子どもに心を動かされたのは、ほんの数日間の実習だった。
たったそれだけの時間で、「苦手」だと思い込んでいた世界が、
こんなにもあたたかくて、面白くて、尊いものだと気づかされた。

だからこそ、今、目の前の不登校の子どもたちと関わっていて思う。
「この子たちも、どこかで、誰かとの出会いで、きっと変わる」と。

それは、「変えなきゃいけない」とか「立ち直らせなきゃ」という意味じゃない。
ただ、今は閉じているように見える扉の向こうに、
想像もしていなかったような景色が広がっているかもしれない、ということ。

僕自身がそうだった。
子どもは無理だと思ってた僕が、まさか子どもに救われるなんて、思ってもみなかった。

あのとき、保育園に行ってなかったら。
子どもたちと出会ってなかったら。
たぶん今の僕は、いないと思う。

不登校の子どもたちだって、今はうまくいかないように見えることがあっても、
それがその子の未来を決めるわけじゃない。
苦手とか無理とか思ってることの奥に、
本当は「向いてること」や「大切な出会い」が眠ってることだってある。

だから僕は、急かしたりはしない。
「今ここにいるだけで、ちゃんと生きてる」ってことを、
そっと隣で感じながら、一緒に過ごしていきたいと思ってる。


僕を変えてくれた子どもたちへ

あの保育園実習で出会った子どもたちに、今あらためて伝えたいことがある。

「こんなに面白い世界を教えてくれて、ありがとう。」

僕はあのとき、子どもに関わる楽しさを知っただけじゃなくて、
誰かとの出会いが人の人生を大きく動かすことを、実感した。
そしてその“誰か”は、何か特別な存在じゃなくていい。
目の前にいる小さな子どもたちが、その“誰か”になってくれることだってある。

だから今、不登校の子どもたちと関わるときも、僕はいつも思ってる。
この出会いが、この子にとって「なんか面白かったな」って思える時間になればいい。
無理に意味をつけたり、目に見える成果を求めたりしなくても、
ただ一緒にいるだけで、何かが変わることがあると信じてる。

僕自身が、そうして救われたから。

どこに、どんな可能性が転がっているかなんて、誰にもわからない。
だからこそ、今日のこの時間も、大切にしたいと思ってる。


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