「これ、やってもいいですか?」
「これ、食べていいやつですか?」
何をするにも、こちらの様子をうかがいながら、そっと確認してくる子がいる。
声をかける前から、不安そうにこちらの表情を探っている。
そんな姿を見ていると、僕はときどき思う。
この子は、これまでどれくらい、「自分で決めてみる」という経験をしてこられたんだろうか。
やりたいと思ったことを選んで、やってみて、もしうまくいかなかったとしてもまた考える。
そんな当たり前の試行錯誤が、少しずつ“自分の意志で動く力”を育てていくのだと思う。
けれど、その機会がうまく持てないまま育つこともある。
たとえば、周囲の人が「先回りして助けてあげよう」としてきた場合など。
親として、子どもを守りたいと思うのは当然のことだと思う。
大切に育てたい、困らせたくない、そんな想いからの関わりもきっとたくさんあったはず。
もし僕が親だったとしても、同じように「つい先回りしてしまう」ことはあったと思う。
でも、もしかするとその中で、
「自分で選ぶ」という経験が、少しずつ遠ざかっていった子もいるのかもしれない。
“自分で決める経験”が奪われやすい社会の中で
最近、ある研究論文を読んだ。親の過保護が学業不安に与える影響(中国・高校生対象)
中国の高校生を対象に行われたもので、「過保護な関わり」が、子どもの学業不安とどうつながっているかを調べた内容だった。
その研究では、過保護な育てられ方の中で育った子どもは、自分に対する肯定的な感覚(自己概念)が育ちにくく、困ったときにどう対処すればいいのかという力も育ちにくい傾向があることが示されていた。
結果として、そうした子どもは、学業に対するプレッシャーや不安を強く感じやすくなる。
この流れは、学業に限らず、日常生活や人間関係にもつながるものだと思う。
自分の意見を出すことが怖い。間違えることが許されない気がする。何かを決めるときには、誰かの判断を待ってしまう。
そんな「自分で動けない感覚」は、実はとても静かに、でも確かに、子どもたちの中に広がっている。
けれどこれは、誰かひとりの責任で起きている話ではない。
今の社会では、「間違えずに、失敗せずに、迷惑をかけずに育つこと」が、いつのまにか“いい子”の条件になってしまっている。
親にとっても、子どもを守ろうとすればするほど、「代わりに決めてあげる」「正しい道に誘導してあげる」という関わりになりやすい。
そんな社会の中で、子どもが“自分で決める”経験を積むことは、とても難しいことなのかもしれない。
僕が大事にしていること
僕のところに来てくれる子どもたちの中にも、
何かをするたびに、こちらの表情を確認するような子がいる。
「これしてもいいのかな」
「やりたいけど、変に思われないかな」
そんなふうに、そっと様子をうかがいながら動いている姿を見ると、
これまでどれだけ“大人のOK”に気を配って生きてきたんだろうと感じることがある。
僕は、そういう子に対して、できるだけ軽やかに返すようにしている。
「うん、いいよ」
「やってみようか」
「どうしたい?」って。
少しずつでも、自分の気持ちを出してみたり、
自分の中から湧いてくる「やってみたい」を形にしたりする経験が、
その子の中の“自己決定する力”を取り戻していくのだと思う。
「制限」ではなく、「一緒に考える」
子どもがゲームばかりしていると、「このままで大丈夫なんだろうか」と心配になることがあると思う。
それは親として自然な感情だし、「何か行動を起こさなきゃ」と感じるのも無理はない。
僕自身も、支援の中で子どものゲームとの付き合い方に悩む場面はよくある。
でも、そのとき僕が大事にしているのは、「本人がどう感じているか」ということ。
たとえば、
・睡眠や食事が極端に崩れている
・眼精疲労や体調不良が出ている
・ゲームをしているのにまったく楽しそうじゃない
・「本当はやめたいけど、他にどうしたらいいかわからない」と感じている
そんな様子が見られたとき、はじめて「少し立ち止まって、一緒に考えてみようか」と声をかける。
でも、どんなときでも「本人との合意」が大前提だと思っている。
僕の考えだけで何かを制限しても、それは“自分で選ぶ力”をさらに奪ってしまうことになるから。
たとえ少し遠回りに見えたとしても、
一緒に話して、一緒に考えて、「じゃあ、どうしようか?」を積み重ねていく。
そのプロセスこそが、子どもが自分の人生を自分で動かしていく力につながっていくと思っている。
自分の人生を、自分で選ぶということ
「自分で決める」って、当たり前のようでいて、
実はすごく難しいことなのかもしれない。
まわりに気をつかって、正解を探して、失敗しないように選ぼうとして、
いつのまにか“自分”が遠ざかっていく。
でも、ほんとうは――
自分の気持ちに気づいて、選んで、動いてみる。
そのひとつひとつが、「自分の人生を生きる力」になっていくんだと思う。
子どもたちの中に、その力はちゃんとある。
ただ、それがうまく出せないまま、止まっているだけのこともある。
だから僕は、支援の中で「正しさ」を教えるよりも、
「どうしたい?」と一緒に考えることを大切にしている。
それが、その子がもう一度“自分を信じて動き出す”きっかけになると信じているから。
子どもたちが自分らしく生きる力を育むために、日々活動しています。
僕の想いに共感していただけたら、OFUSEでの応援が力になります。
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