HSPと不登校って関係あるの?
僕は、不登校になる子どもたちの中に「繊細さ」を強く持っている子が多いと感じている。
その繊細さは、心理学的には「HSP(Highly Sensitive Person)気質」と呼ばれることがある。
HSPの子は、人が怒られているのを見るだけで自分が責められているように感じたり、
周りの人の表情や空気を敏感に受け取って、自分を責めてしまったりする。
「人に気を遣いすぎて疲れてしまう」――そんな子が、実際の支援の中でもたくさんいる。
だから僕は、不登校とHSPの気質は切り離せない関係にあると思っている。
これは「弱さ」や「甘え」なんかじゃなくて、ただその子の感じ方の特徴なんだ。
参考・・・ひまわりこどもクリニック「HSC(Highly Sensitive Child)」
HSP気質の子どもに多い特徴
HSPの子どもは、よく「繊細すぎる」と言われることがある。
でも実際には、その繊細さは“感じ取る力が強い”ということでもある。
たとえば――
- 先生が誰かを叱っていると、自分まで叱られているように感じて胸が苦しくなる
- 周りの人の表情や小さな変化にすぐ気づいて、無意識に気を遣ってしまう
- 教室のざわざわした音や蛍光灯の光など、他の子が気にしない刺激に強く反応して疲れてしまう
こうした特徴は、本人にとっては「なんで自分だけこんなにしんどいんだろう」と悩みの種になることも多い。
けれど、裏を返せば“人の気持ちに寄り添える力”や“細かい違いに気づける感性”として生きることもできる。
HSPという気質は、弱さではなく「生まれ持った感じ方の違い」なんだと思う。
学校という環境との相性
HSP気質を持つ子どもにとって、学校はとても負担の大きい環境になることが多い。
なぜなら、学校は「大人数で同じ空間に長時間いる」という、刺激が多い場所だからだ。
- 友だちや先生の視線を常に感じる
- 音やにおい、空気の変化などが一度に押し寄せてくる
- 「多数決」「みんな一緒に行動する」など、個人より集団を優先する文化が強い
これらは、繊細さを持つ子どもにとって「自分を押し殺して合わせなければならない場」となりやすい。
表面的にはみんなと一緒に過ごしていても、内心では気を張り詰めていて、家に帰る頃にはぐったりしてしまうこともある。
つまり、HSPの子どもにとって学校は「学ぶ場」であると同時に、「消耗する場」でもあるんだ。
それが積み重なって、「もう行けない」と体や心がストップをかけることが、不登校という形につながっていく。
不登校は逃げじゃなく“環境を選ぶこと”
「学校に行けない」という状態は、周りから見ると「逃げている」「弱い」と思われがち。
でも僕は、不登校は“自分を守るための選択”だと思っている。
HSP気質を持つ子どもは、他の子なら平気で流せることも、何倍もの刺激として受け取ってしまう。
だから心や体が「これ以上は無理」とストップをかけるのは、とても自然な反応だと思う。
実際、不登校になった子どもに話を聞くと、
「友だちの視線がつらかった」
「先生の怒る声を聞くだけで胸が苦しかった」
そんなふうに、日常の“当たり前”が負担になっていることが多い。
不登校は、そうした生きづらさから自分を守るために選んだ一つの方法。
それは「諦め」や「甘え」じゃなくて、本人なりに生き延びるための行動だと思う。
大事なのは、そのあとどんな環境に出会えるか。
安心できる場所を見つけられれば、「生きていて大丈夫」という実感につながる。
逆に閉じこもって「自分はダメだ」と思い込んでしまえば、苦しさが深くなってしまう。
だから僕は、不登校はゴールじゃなくて、“環境を選び直すきっかけ”として大切にしたいと思っている。
大人にできること:環境の橋渡しと覚悟
不登校の子どもにとって大切なのは、「今の環境が合わなかった」と気づいたあとに、どんな場所と出会えるかだと思う。
そこで大人の役割が大きくなる。
一つは、安心できる居場所への橋渡し。
フリースクールや地域の居場所、訪問支援など、外の環境につなげていくこと。
親や支援者が「こんな場所もあるよ」と情報を持っているだけで、子どもの選択肢はぐっと広がる。
もう一つは、大人自身が「生きていたら大丈夫」という覚悟を持つこと。
HSP気質の子は、周りの不安や焦りを敏感に受け取ってしまう。
だからこそ、親や支援者が「大丈夫、あなたはそのままでいい」と落ち着いた空気を持っているだけで、子どもに安心が伝わる。
そして、いちばん身近で支えになるのは家庭の空気だと思う。
「今日はゆっくり過ごしていいよ」
「無理しなくても大丈夫」
そんな言葉や態度が、子どもにとっては日々の安心につながっていく。
でも、ここで誤解してほしくないのは「家庭だけでなんとかしなきゃ」と思い込む必要はないということ。
家庭の空気を整える力も、外の居場所や支援者、同じ悩みを持つ仲間とつながることで支えられる。
安心は、親だけが背負うものではなくて、まわりと一緒に少しずつ作っていけるものだと思う。
繊細さは才能になる瞬間
HSP気質の子どもたちは、「敏感すぎる」「気にしすぎ」と言われてしまうことが多い。
でも実際に関わっていると、その繊細さが才能として光る瞬間がある。
たとえば、誰も気づかないような友だちの小さな変化に気づいたり、
人が困っているときに、自然と声をかけたり支えたりできること。
それは「感じすぎる」という弱さではなく、相手に寄り添える大きな力でもある。
ただ、本人がしんどさを抱えている真っ最中に「それは才能だよ」と言っても、届かないことが多い。
「なんでこれが才能なの?」と、かえって苦しくなることもある。
だから僕は、その子が深い気づきを見せてくれたときや、
普通なら気づけないことを感じ取った瞬間にだけ「それは才能やで」と伝えるようにしている。
繊細さを才能として受け止められるのは、時間をかけて少しずつ実感できることだからだ。
繊細さは弱さじゃない。
扱い方や伝え方によって、人を支える力にも、未来を切り開く力にも変わっていく。
おわりに:HSP気質を持つ子どもたちへ
繊細さを持つ子どもたちは、学校という環境では生きづらさを感じやすい。
でもそれは「弱さ」や「逃げ」ではなく、自分を守るために選んだ大切な行動だと思う。
HSPという気質は、ときにしんどさを伴う。
けれど同時に、人の心に寄り添ったり、細やかな気づきを持てたりする力でもある。
その力は、時間をかけて少しずつ「才能」として花開いていく。
家庭の中で安心できる空気を感じられること。
外の居場所や信頼できる大人とつながれること。
その両方が合わさってはじめて、「生きていて大丈夫」という実感につながっていくんだと思う。
繊細さは、決してあなたを不幸にするものじゃない。
その繊細さごと、自分らしく生きられる道は必ずある。
僕はこれからも、そんな子どもたちと一緒に歩んでいきたいと思っている。
子どもたちが自分らしく生きる力を育むために、日々活動しています。
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コメント
なぜ行けないの?、と周囲の人から理解を得られず苦しかった日々を思い出します。
今はわかってもらえなくても、大人になって、「そういえばあの子たち学校行ってなかったけど、普通の大人になったのね」と、密かに思ってもらえたらそれでいいや、と思えるようになってきました。
繊細さは個性。
わかる人にだけわかればいい。
そして、血の繋がりだけが支えじゃない。助けてって言える優しい社会に変わっていくといいね。
さもんさんありがとうございます😊
学校だけが全てじゃないですし、学校に行かなくても学べる場所あるってもっと広げて行きたいところです。
また是非見に来てくださいね✨
なんだか、まさにうちの不登校小3息子について書いてもらっている感じでした。
繊細さの捉え方ひとつで、本人の芽が伸びていく肥料になるはずと感じました!
私もその芽を育てる畑でありたいですし、色んな人と耕していきたいです!
こんばんは!
コメントありがとうございます✨
HSPは僕も才能だと思っているので、どう活かすかだと思うんですよね。
また是非読みに来てくださいね😊