「好きなことは何?」と聞かれたとき、すぐに答えられない子がいる

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僕は訪問型で子どもたちと関わる中で、自己紹介の場に立ち会うことがある。最近、その中で少し気になったことがあった。

少人数のグループで、名前と一緒に好きなものを一つ話す。そんな軽い自己紹介でも、「好きなことは何?」と聞かれた瞬間に止まる子がいる。

これは不登校の子に限らない。普段は元気で、お調子者みたいに見える子が、「好きなことなんてない」「見つからない」と言うこともあった。

僕はその反応が少し気になった。好きなことがないというより、好きなことを“好き”として言うこと自体が難しい場合があるんじゃないか。

今回は、そのことを僕なりに考えてみたい。

軽い自己紹介でも、答えにくいことがある

その場は、何十人もの前で発表するような空気ではなかった。少人数のグループの前で、一人ずつ少し話すくらいの場だった。だから大人からすると、そこまで重い質問には見えないかもしれない。

しかも僕は、形式として聞いたわけではない。ただその子のことを知りたいと思って聞いていた。ゲームでも、アニメでも、好きな食べ物でもいい。何でもいいよと伝えても、止まる子は止まる。

ここで僕が引っかかったのは、答えられない子が「何も感じていない」ようには見えなかったことだ。何もないから止まるというより、何を言えばいいのかを探しているように見えた。

「好きなことがない」とは限らない

僕はこういうとき、いつも「好きなことは何?」と押し切るわけではない。「じゃあ、やっていて楽しいことは何?」と聞き直すことがある。すると、「それならこれかも」と言ってくれることがある。

この違いは大きいと思う。少なくとも僕には、「好きなことがない」のではなく、「好きなこととして出すのが難しい」ように見える。

楽しいことなら出てくるのに、好きなことになると止まる。そこには、言葉の違い以上のものがあるはずだ。

好きなことと言われた瞬間に、ちゃんとしたものを答えないといけない、長く続いているものを言わないといけない、人から変に思われないものを選ばないといけない。

そんなふうに、問いの中に条件が増えていくことがあるのかもしれない。

子どもは、答える前にこちらを見ている

僕が自信のなさを感じるのは、言葉そのものより、その前後の動きからだ。

たとえば、話したあとにこちらの顔色をうかがう。

話しながらかなり言葉を選ぶ。

言い切る前に、一度こっちの反応を確かめる。

そういう様子があるとき、僕はその子が「これを言っても大丈夫か」を気にしているように感じる。

それが、僕には正解を探しているようにも見える。自分の中にあるものをそのまま出すというより、この場で言っても大丈夫そうなものを探している感じに近い。

これは不登校の子にもよくあるけれど、不登校の子だけの話ではない。学校に通っているかどうかに関係なく、自分のことをそのまま出すのが難しい子はいる。今回の違和感は、そこに重なっていた。

「好き」は、思っているより傷つきやすい

好きなものを話すことは、ただ情報を一つ出すことではない。その子の内側を少し見せることに近い。だから、否定されたときのダメージも大きい。

「そんなの意味あるの」「それのどこが面白いの」と返されたら、好きだった気持ちまで傷つくことがある。子どもたちは、その痛さを説明できなくても、感覚として知っているんじゃないかと思う。

僕の中では、「好き」と言ってくれることには信頼が含まれている。この人は否定しない、この人なら変に扱わない、そういう安心ができたときに、初めて出てくる言葉なんじゃないかと感じている。

怒られることが多い子ほど、出しにくくなるのかもしれない

これはあくまで仮説だ。普段から怒られることが多い子ほど、自分の好きなものを出しにくくなることはあるのではないかと思っている。

間違えないように、変に思われないように、先に相手の反応を読む癖がついていくと、「何が好きか」を感じるより先に、「何を言えば安全か」を考えるほうが早くなる。そういうこともあるのではないかと思っている。

もちろん、これだけで全部を説明するつもりはない。

緊張しているだけのこともあると思うし、その日の空気もある。ただ、少なくとも「言えないなら、好きなことがないのだろう」と片づけるのは違うと思う。

大人が先に整えたいのは、答えではなく空気

僕が大事にしているのは、子どもが言ってくれたことを否定しないことだ。

でも、それは「否定しないように気をつけている」というより、単純にその子の話を聞くのが面白いからそうなっている。

この子は何を言ってくれるんだろう?

何を面白がってるんだろう?

そう思って聞いていると、こっちも自然に楽しい。楽しもうとしているわけではなく、自然にそうなる。

その空気があると、子どもが突然好きなものを言ってくれたりする。

そのときの表情は、少し嬉しそうでもあり、少し恥ずかしそうでもある。僕にはあれが、「言っても大丈夫だった」という表情に見える。

好きなことを話せるかどうかは、知識の問題というより、安心して出せるかどうかの問題なんだと思う。

無理に答えさせなくていい

だから僕は、「好きなことは何?」と聞いて止まった子に、急いで答えを出させようとは思わない。

すぐに出てこないなら、「やっていて楽しいことはある?」くらいから始めてもいい。

また今度でもいい。その子の中にあるものが出てくるのを待てばいいと思う。

自己紹介の場で本当に大事なのは、上手に答えることではない。自分のことを少しずつ出しても大丈夫だと思えることのほうだ。

まず見るべきは、子どもの答えそのものではなく、その子が安心して答えようとできる場であるかどうかだと思う。あの沈黙の意味を急いで決めつけず、まずは空気のほうを見直したい。

子どもにとって、「好き」はいつでも軽く言える言葉ではない。だからこそ、言えたときは、その中に安心や信頼が入っている。僕はこれからも、答えの中身を急ぐより先に、「これを言っても大丈夫」と思える空気の方を大事にしたい。

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コメント

  1. さもん より:

    間違えることが失敗っていう雰囲気が、そうさせるのかなぁ~
    否定されない、笑われない、安全安心な場をつくる。大事やね。

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